調べる時間

友人がSNSに投稿していた単語から調べものをしていたら、あっ という間に時間が経ってしまいました。

仕事をしているひとが目にしているものに 興味を持ってみること、そして単語だけで 調べることが出来るのは、

先日からも言ってるかも知れませんが、ほんと、勉強のとっかかりにとても良いですね。

高校を卒業して、すぐ就職したので、ふと興味が湧いたことを調べる時間よりも、仕事をいかに効率よくするか、を考えてきたので

いつ使うかもわからない調べものを、ずいぶんと後回しにしていましたが、今は、こんなような時間が持てて、友人の投稿なので、いつかは 話を出来るかも知れないなあ、って思うと

それもまた 楽しい。

 

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今日も一日おつかれさまでございました。

名前の後に、今日覚えた単語をメモしてます。
よろしければお読みくださいませ。

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小谷 真澄(VZQ05275@nifty.ne.jp)

 

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ごぜみぞ
長左衛門の幼名「五左衛門」をもじって「ごぜどんのみぞ(略して、ごぜみぞ)」

私財をなげうって続けられた工事
山之口町麓地区は、地形的に東岳山系の褶曲した扇形の台地になっており、水量の豊富な東岳川に接していながら地下水位が低く、集落内では降雨の少ない時には飲料水に苦しみ、皆が長い距離をいとわず、低地にある湧水まで水汲みに行っており、緑深い山地でありながら、以前はまことに水には恵まれていなかった。
小野田長左衛門翁はこれを見るに耐えず、測量術の幼稚な当時に、自分から わらじや きゃはん姿で2キロ余りの山腹を測って、溝を掘った。
当時、水利権の獲得が相当に困難事で、明治38年(1905)には、鉄道の通っていない当時に宮崎県庁まで10数回も行ったが、その費用も自分持ちであった。
いよいよ溝を掘ることになると、山すそを掘って行くので岩石が多く、作業は困難をきわめた。山腹の溝は台風被害の度に崩れ落ち、大補修と危険箇所の補強と、取水口は洪水に備えるために補強を必要とした。又、麓地区内の学屋敷の下には、100メートル近いトンネルまで掘られた。小野田翁は数々の困難に屈せず私財を売却して努力を続けて、用水は一本松の水田まで通水できた上に、麓の家庭の井戸がかんばつの時でも涸れることはなくなった。
小野田翁は在京の実業家、宇都宮新氏に依託して水路に補修を加え、明治45年(1912)6月に完了して水神様を建立した。

水土里ネット宮崎 碑が語りかける水と土
( http://miyadoren.heteml.jp/kinenhi/kinenhi/kitamoro/onoda.html )

宮崎中山間ネット ごぜみぞ
( http://www.chusankan.net/blog/jimu/archives/2010/06/post-240.html )

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