最近の読書より

 漫才のなかで、何かが決定的な変化をおこしてしまった、という噂は本当なのではないか。来訪神から萬歳へ、萬歳から漫才へと、神秘の神の器でありつづけたこの芸能から、あきらかに何かが消えかかっている。
 いまから八十年前に、千日前の寄席にはじめて出現した、現代の神秘は、もはやいまの漫才のなかには、宿ってないのかもしれない。キオスクのつぎに、神秘はどこにあらわれるのだろう。わたしは狂おしく、つぎの時代の漫才、つぎの世界の神秘の器である、おそらくは別のかたちをしているにちがいない、来るべき「漫才」を求めている。
(大阪アースダイバー:著 中沢新一 2012年刊行
第三部 ミナミ浮上/千日前法善寺の神 来るべき漫才 より)

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