じぶん で みる

今日 ふと Inception のDVDを
パソコンで観ようと
トレイに入れると
どうやら 気がつかないうちに
アプリをダウンロートしないと
観れないようになってて・・

3か月前くらいに買ったDVDで
まだ1回か2回しか
観てないのに・・

なんだか

宮崎に住む 父が
スマホのアプリで
(今まで使えていたものが
使えなくなった~)って
言ってきてたの

感覚的にわかるように
なってきた

自分にはわかんない変更が
増えた気がする

その点 文庫本はいいな

自分で読んだら
いいだけだもんね

特に何がいるわけでもない

今日も小説 少し読んだ

・・・・

今日は
十牛図の本をめくると
第七図 忘牛存人 にあたり
Web記事でも
同じく第七図のことが
書いてあり

・・って書いたところで

十牛図の本をもう一度
みているなかで

“五十歳になると人生は楽しくなる”という
章をみつけたので 紹介させてください

・・・

 四季はそのまま人の一生にあてはめられるということを思い出してみよう。人生の中で冬というのは老年期であり、樹木が葉を落として枯れてゆくように新陳代謝は低下し、肉体的な運動には不向きになってくる。不活発な冬の時代へと突入した老人は、身体的にはじっと動かないが、折口信夫のように、冬はフエるという点から、内面は新しい活力で満たされ、充満してくる楽しさが無まれる。むしろ穀物の育成とか、わかりやすい実際的な成果に向かって走るときのように、現象としての成果に縛られていないぶん活発さを増加している事実に気がつくべきだ。
 
 よく五十歳になると人生は楽しくなるといわれる。それまで、その人の活力は仕事、出産、育児などに費やされていて、余裕はなかった。しかし、秋以後、この力は生活に使わなくて良くなり、生きることに余裕が生まれ、それが人生を純粋に楽しむことのできる感性を生み出すのである。わたし個人も五十歳を過ぎると、確かにそうだと実感できるようになった。音楽ひとつ聴くにも、余分なことを考えないで、純粋に聴くことができるようになった。すると、この感受することの強烈さに、びっくりすることが多くなった。感情と感性はどんどん新鮮味を増していくのだ。
 
 人生の春から秋は実用目的に縛られ無心になることが難しい。創造力は秋以後、生産しなくてはならないという重荷を抱え込むことから開放されて、遊ぶ力を持ち始める。これを味わうと、若い頃に戻りたくないという人が多いだろう。この急激な切り替えは、人生の秋分点に等しい場所で生じる。
(たましいのこと 十牛図で考える人生 松村潔:著)

・・・・・

今日は
“この世界の片隅に”を観ながら
ブログ書いてて

評判の映画だったので
観たかったのですが
ずっと機会を持てずにいて
初めて観て

なんて言ったら
いいんでしょうか~~

先にひとの感想を知る機会が
増えてしまったけれども

やっぱりちゃんと自分で観ないと、と
思った映画 です



・・・・・・

今日も一日
おつかれさまでございました

おやすみなさいませ



小谷 真澄

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