都合よく

猫を眠らせて 手渡す、
眠らせた猫を 手渡す、

ある作家さんが
小説を書いて
読者に読んでもらうことを
何かのエッセイで
こんなふうに書いてた気がする


って、何日か前
ブログに書いたその補足


村上春樹さんの 雑文集の
” 自己とは何か
(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方) ” の節に
・・・・・・
~~ 我々はそれらの仮説を、まるで眠っている猫を手にとるときのように、そっと持ち上げては運び(僕は「仮説」という言葉を使うたびに、いつもぐっすりと眠り込んでいる猫たちの姿を思い浮かべる。温かく柔らかく湿った、意識のない猫)、物語というささやかな広場の真ん中に、ひとつまたひとつと積み上げていく。~~
・・・・・・

と、あったのを
1Q84を読んでいる時に
(・・・そうかも・・・)と
感じたので
以前に読んだ文章を
思い出せたのかも、と
思ってます


同じ節の中に
・・・・・
しかし物語が終わったとき、仮説は基本的にその役割を終える。

と、書かれている段落が

わたしが 疑問に思っていることや
そのなどなどを
たどる時に役に立つようなことが
書いてあって

まだ1Q84は読み終わってはいないけど

(そうなるのかな~)なんて
思っていますし

確かに今まで
フィクションを読んだ体験の
気持ち良さは
ここにあったとも 思いました

1Q84は まだ 読み終わってはないけれど



いろんな読書の方法があるとは
思うけれども

今回 この長編小説を読む中で
以前に読んでいた文章も思い出して

それ以外にも
自分のことを ある意味
いい意味で 都合よく思い出せるので

今は 本を読むのに
はまっているのかなあ、と
思ってます



小谷 真澄

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